2016年12月25日日曜日

防災士の資格取得(実態は減災士)


所属する町会で、区の主催する防災セミナーを受講するように頼まれ、軽い気持ちで引き受けた。
しかし、実際受講してみると途中で土日二日間朝9時~午後7時までの防災士講座が組み込まれており、二日目の最後に防災士の資格試験があることが判明した。事前に分厚い教科書と問題集が送られてきて、事前学習レポートも必須となっていた。
ちょっとひるんだが、ここでやめるわけにはいかず仲間三人と何とか資格試験受験まで頑張り、資格試験もパスすることができた。 講座の内容を一言で表現すると、防災は不可能で災害が発生する前後でいかに被害を少なくするかの自助・共助の「減災」の知識を体系的に学んだ事になる。資格自体は阪神淡路大震災の反省から出来た新しいものだそうだ。生きているうちに発生するかどうかは分らないが、首都圏直下型地震に対する備えは怠らないようにしようと思いを新たにした。

2016年11月8日火曜日

泣ける映画

久しぶりに泣ける映画を観た、宮沢りえ主演の「湯を沸かすほどの熱い愛」という映画。
亭主蒸発で浴場休業、主人公の末期がんが発覚、子供がいじめに会い、母に捨てられた子供を引き取る等々、泣ける道具立てはあざといくらい揃っているので泣けるのは当然なのだが・・・。特に娘役の演技のうまさに自然に涙が流れた。 ちょっと驚きのラストシーンは題名に表現されているが観てのお楽しみ。
泣くことの効用は、①ストレスが溜まって過剰に分泌されたストレスホルモンを低下させる ②副交感神経のスイッチが入りリラックスできる、等があると科学的に証明されている。
個人的体験でも、10数年前に妻の乳がん転移の肺がんが発覚した際、妻が旅行中の夜に永六輔の「妻の大往生」(奥様が胃がんで死去)を読んで久しぶりに大泣きしたが、翌朝すごく気持ちがすっきりして、救うためなら何でもやろうと決心。 
ネットを駆使して天仙液(漢方のがん治療薬)とやわらぎの湯(三春町にあるラジウム岩盤浴、多くのがん患者が通う)を発見し、しばらく天仙液を飲ませながら、毎月やわらぎの湯に通った。現在はほぼ寛解状態にあり、海外旅行も一緒に行けるようになっている事がある。 たまに泣くのも精神衛生上良いのでお勧め。

2016年11月6日日曜日

孫娘に遊んでもらう日々

次男が海外出張で不在なこともあり、休日の3日6日と孫娘に付き合ってもらって夫婦で外出。
3日は、ブドウ狩りで好きなだけブドウを食べたいという孫娘の希望で、日帰りのバスツアーに三人で出かけた。朝早いので前日からお泊りで来てもらい朝早く出発。
好天に恵まれて、リニアモーターカーの展示館(写真)~河口湖の紅葉~ブドウ狩り(好きなだけ食べたいといった割には一房)~信玄餅工場見学~ワイナリーと盛りだくさんだったが結構楽しめた(勿論孫娘も)。
6日はこれも好天なので日比谷公園でも行こうかと誘い昼前から散策。
現役時代の勤務先の目と鼻の先にあり何度も訪れているはずだが、自由の身でゆっくり回ってみると結構見どころも多く楽しめた。当日は菊の展示会(写真)・野外音楽堂での演奏会(無料なのに菓子のお土産付)等ありそれぞれゆっくりと鑑賞した。日比谷公園の良さを現役時代には気が付かなかったねと職場結婚の妻と再確認した。

2016年10月21日金曜日

しまなみ海道伯方島・琵琶湖の旅(第73回温泉同好会)

温泉同好会の名称「荒馬会」の由来である、最年長のMさんの故郷に六人のメンバーがお邪魔した。 長年お誘いを受けており元気なうちにと往路約800km弱をウイシュに六人乗って交代で運転して踏破した。
朝6時45分に新宿を出発し午後四時半過ぎに到着。
M氏の御両親の家で、年に数回帰郷してメンテしているそうだ。酒肴をたっぷりと用意してくれており、お言葉に甘えて二泊させてもらった。二日目に隣の大三島の立ち寄り温泉施設(ただし海水の沸かし湯)に行き、海沿いの露天風呂を楽しんだ(写真)。
二日間すっかりお世話になり、三日目の朝お別れして、今治藩の奥座敷鈍川温泉の立ち寄り湯へ寄った。アルカリ性のぬるっとした温泉だったが、入れ墨の方が二人入っており、写真は遠慮した。
その施設で昼食後、四国を横断し鳴門で休憩。本四架橋の橋げたの下に作られた渦潮観光施設に入場し45mの高さから鑑賞した(写真)。
そのまま淡路島ルートで本州に入り、予約しておいた琵琶湖湖畔のホテルに投宿、夕食は近くの焼き鳥屋で乾杯。 翌朝近くの石山寺を観光して一路帰京。トータル約1700kmの自動車旅行だったが、運転しない二人を除くと、私を含む四人が平均年齢約70歳でさすがにちょっと疲れた。本四架橋を車で踏破したのは個人的にはこれで三回目だが、これが最後かもしれないとの感想。

2016年10月6日木曜日

消えない反日感情ー韓国

大学のカメラクラブ同期から出版の案内あり、以前にも「夢見た祖国(北朝鮮)は地獄だった」という本の出版案内があり早速購入して読んだ。内容は脱北者の話をまとめたもので、終始暗く救いのない話だったので、今回どうしようか迷った。
しかしふらりと立ち寄った本屋の目立つ場所にあったので、思わず購入。表題は「交わらないから面白い日韓の常識」で韓国人に常日頃違和感を感じている私が読み始めたら一気に読了した。
色々なエピソードで日韓の文化の違いを記述しているが、一番面白く、なるほどと納得したのが旧日本軍慰安婦問題の根底にある「恨 五百年」の情緒。
朝鮮戦争で米軍人が駐留し、その相手をする洋公主(売春婦)ビジネスが当時国民総生産の25%を占めていた。 しかし、その後駐韓米軍が大幅削減された後釜に狙われたのが高度成長を遂げた日本の男性で、妓生観光で大挙して訪韓し買春で金を落としていった。
この妓生観光糾弾の団体が、日韓ともに慰安婦問題糾弾団体へとつながっていくというもの。筆者が言うように「時が解決する」日本と、「恨 五百年」の韓国は、今後も交わることはないので、適当な距離感をもって大人の付き合いをするしかないという印象。でも韓国旅行は死ぬまで行くもんかというのが私の結論。


2016年9月26日月曜日

久し振りにトリッパ(牛胃煮込み料理)を制作し堪能

昨日夫婦共急にトリッパ(イタリアの牛胃袋煮込み料理)が食べたくなり中野駅近くのイタリアン・バールへ。
事前にネットで調べたメニューにトリッパありとあったのに品切れ。
他の小皿と赤ワインを楽しんだが、どうしてもトリッパが食べたくなり、隣にいた客に教えられた肉屋でハチノス(牛の胃袋、普通の肉屋では置いていないことが多い)を購入して帰宅。
本日スーパーで他の食材を購入して製作開始。約3時間半でで完成し、夕食に赤ワインと共に堪能した。レシピはクックパッドに何通りも掲載されているので気に入ったレシピを使うといいと思いますが手間のかかるレシピのほうがやはり美味しい。
写真は上が揃えた食材、下が完成した料理。
上の白いハチの巣のように見えるのが牛の胃袋。
右が完成品、自宅で育てたバジルの葉を飾りました。適当な歯ごたえがあり自画自賛だがなかの出来栄え、オーストラリアの赤ワイン「ハーディズ」(ブドウはシラーズ)にベストマッチで美味しくいただきました。
二人分では多いので、後で近くに住む息子夫妻に届けました。

2016年9月9日金曜日

スケルトンリフォームに着手

四階建ての二世帯住宅の三・四階に住んでいた義母が急逝、同居していた長男も一人住まいしたいと退去して空き家になった。 そのため現在二階に住んでいる我々夫婦が三四階に転居するため、思い切って流行のスケルトンリフォームをすることに決めた。
二社ほど見積もりを取ったが、結局実績が多く手慣れたS不動産の「新築そっくりさん」に決めた。
トイレや浴室の位置も自由に変更できる点が気に入った。
取り壊しから完成まで約二か月かかるが、完成したら我々夫婦が三四階に転居し、空いた二階も引き続きスケルトンリフォームで3LDKに改築し次男家族が入居することになっている。
次男夫妻に二人目の孫が生まれ四人家族になったので、家賃負担軽減もあり相談して決めた。
古希を来年に控え生涯最後の改築となるが、孫たちと住めることを楽しみに約4か月間不便な生活に耐えることにした。

2016年8月22日月曜日

御霊入れの儀式に参列-夏祭り

夏祭りの設営に参加して6年目になるが、3年目からは前日の神輿の「御霊入れの儀式」に参列している。
神輿町内渡御の前夜に、神主に来てもらい神輿にご神体を入れてもらう儀式のこと。
明かりを消して暗い中三台の神輿毎に「おお~」というご神体を招く神主の唸り声を聞き、参加者が厳かに神棚に拝礼すると神事に参加している実感がわく。
町内渡御終了後、今度は「御霊抜きの儀式」を執り行うのが正式で、今回の神主は御霊抜きも実施する正調派。
所属の町会は二つの神社に所属しているが、来年当番の神社では「御霊入れ」はするが「御霊抜き」を省略するので、手抜きしないでほしいというのが実感。

2016年8月8日月曜日

孫と日本サッカーを応援

オリンピックサッカー日本代表第二戦、予選突破のためには勝利が条件。何度か一緒にサッカーを観戦している孫娘が、一緒に応援すると手製の日本国旗をクマの分を含めて三本作って参加。前半はかなり熱心に応援してくれたが、前半戦で飽きたらしく後半は別の遊びに熱中、今月6歳なので無理もないか。でも決勝進出のかかる11日のスエーデン戦も応援するとの事で、全く興味のない妻よりは頼もしい。

2016年7月10日日曜日

祭りの季節到来


7月に入り夏祭りの季節到来、昨日は来週の地元の氷川神社の盆踊り大会の準備に参加した。9時に神社に集合し屋台
組み立てや提灯つけ等で各町会から10名前後の氏子が集まり熱心に準備作業に取り組み約二時間で完了。今年の町会の祭りは8月20日21日で、準備作業と当日の運営はもっと大変だが、予行演習的な位置付けの作業として各町会も参加しているようだ。

2016年6月26日日曜日

第72回温泉同好会は渋温泉ー三種の源泉を堪能

第72回温泉同好会は長野の渋温泉へ。 宿はテレビで紹介され、最上階に展望風呂と露天風呂がある「炭の湯」、映っていた美人若女将を気に入って幹事が予約した宿。
朝8時に新宿出発して昼頃渋温泉に到着、まずは一軒だけある蕎麦屋に寄ってビールと日本酒でざるそばを堪能(車は宿に先に置いてきた)。
外湯が9か所あるが、宿の宿泊者のみカギを借りて入れる方式。食事後一番大きな「大湯」に入った。熱くてすぐには入れずしばらく水を入れてようやく入ったが本日の一番乗りだったようだ。
その後宿に入り、最上階の展望風呂に入浴、ここは近くのサルが入りに来ることで有名な地獄谷温泉から引き湯だがもちろん源泉かけ流し。
夕食後、宿に一番近い六番湯「目洗いの湯」に入る、濁り湯の大湯と違い目にいい成分が入っている透明の湯。残り7つの外湯があるが、アルコールが入っているので外湯は終了。
それでも宿の湯を入れると三つの異なる泉質の温泉を楽しめたことになる。リーズナブルな料金の宿も含めて再訪の価値ある温泉との印象。

2016年5月28日土曜日

手術後満一年経過


昨年五月下旬に直腸がんの腹腔鏡下手術を受けて満一年が経過、先日受けた一年後検診で経過順調と言われほっと一息。 へそを中心に4センチほど切った傷もだいぶ綺麗に回復し、大きめのへそに見えるまでになった。写真を読者は見たくないだろうから省略するが、何より海外旅行が可能なまで腹具合が回復したことがうれしい。
手術直後は軟便と頻便でとても海外旅行は無理と思い、女房を友達とのスイス旅行に送り出した。
 しかし、腸内環境整備の為に整腸剤を食事ごとにのみ、ワインを飲む際は事前に正露丸を飲むことで下痢を回避する等を習慣化したことが良かったようだ。それほどまでしてワインを飲まなくてもいいだろうと他人は思うかもしれないが、美味しい食事と酒が生き甲斐の一つなのでとにかくハッピー。
内視鏡検査の際、ネットで調べて日本一と言われる工藤医師にめぐり合い、彼が消化器センター長を務める昭和医大横浜北部病院で一番上席の石田教授のチームに手術してもらったのも幸運だったと思う。 同病院の最近の大腸がん手術の実績(腹腔鏡下手術)が全国二位にランクアップしていたのも工藤教授の手腕だろう。

2016年5月13日金曜日

イタリアン・リビエラ(海岸)の旅

2月出発日に義母の死去でキャンセルしたイタリアン・リビエラ旅行に再挑戦。
格安のエミレーツ航空を利用したが、連休となったため2月当時の倍の旅費となったが、長男が同行可能となった。
◆29日零時半出発で、ドバイーローマと乗り継いでミラノ着、ホテルは小さいがドオモウから数分
の便利な立地。早速夕暮れ時のドオモウとエマニュエル二世のガレリアを散策、6時過ぎにレストランに入り日本ではメニューから消えた「タルタルステーキ」をと地の赤ワインを堪能。





◆30日は終日フリータイムにつき朝一で空いているうちにドオウの屋上へ上って眺望をたのしんだ。その後スカラ座経由ボルディ・ペッツォーリ美術館に入りボッチィチェリ等の絵を鑑賞。中でも一番印象に残ったのは有名な「若い貴婦人の肖像」で女性の肖像画としては個人的にはフェルメールとコローについで好きな絵で、日本と違い混雑もなくゆっくりと鑑賞できたのがうれしい。
昼食後は有名観光名所に停車し一日中乗り降り自由な観光バスにのり、スフォルツア城等を回った。
ダビンチの最後の晩餐のある教会も停車したが、長蛇の列で一度見たこともあるためパスした。
夕食は昨日と同じレストランに行き、今度はTボーンステーキともちろんワインも楽しんだ。前日もタルタルステーキを目の前で調理した年配のウエイターが大きなステーキを切り分けてくれたので、チップをはずんだ。

◆1日 朝タクシーでミラノセントラル駅に行きジェノバ行きの急行列車に乗ってジェノバへ。駅が広く指定席売り場を探したり結構手間取った。駅構内の地図等事前調査不足を反省。このとき乗り継ぎの時刻表を入れたファイルを紛失したが、二泊したサンタマルガリータのホテルで事情を話しプリントしてもらい事なきを得た。
ジェノバでは、徒歩で主要な宮殿や博物館を巡ったが、疲れてきたのでミラノと同じ乗降自由な観光バスに乗り、主要な観光地はひと巡りした。

◆2日 電車にのりジェノバからサンタマルゲリータリグレ・ポルトフィーノ駅へ、午前中に宿に到着したので早速宿から近いフェリー乗り場に行き、デズニーシーのモデルと言われている高級リゾート地ポルトフィーノヘ。 日本でも人気のあるテノール歌手アンドレ・ポッチェリが港の広場で特設会場の屋外コンサートを実施したBDを持っており、一度は行ってみたいと思っていた今回の旅行の目玉となる目的地。港を見下ろすことのできるブラウン城に上り絶景を楽しんだ。

そのあとは港に戻って遅めの昼食兼早めの夕食をレストランでとった。ここでも他の客がタルタルステーキを食べているのを妻が目ざとく見つけスパゲッティやピザ(これはあまり感心しなかった)とタルタルを注文、ミラノとはまた違った味付けで同時に取った赤ワインとの相性が絶品で、タルタルはお代わりした(今回の旅行中に飲んだ赤ワインで一番美味しかったので、ラベルを写真に撮って帰国後に注文)。

◆3日 朝から世界遺産のチンクエッテレの村めぐりに出発。電車で最初の村で下車しフェリーに乗換て一番奥の村で下船した。狭い村を散策したが、ここは休日の江の島かと思うほど人の波でちょっと疲れた。
五日目の旅の疲れも重なって、五つの村のうち三つ見て早めにホテルに帰還した。町を散策したときに見つけておいた魚市場の二階にあるレストランで海鮮料理を注文し始めて白ワインを飲んだが、特別印象に残らず。



◆4日 今回の旅の最後の難関であるサンタマルガリータから三回乗り換えて(ピサ・フィレンツェ等)午後二時過ぎにサンタルチア駅に到着してホット一息ついた。駅から徒歩10分程度の場所にあるホテルに荷を預けて一番有名なサンマルコ広場まで散策。今回も海外用WiFiをレンタルしてあったので街歩きはグーグルマップを使って迷わず目的地に到達。
同じグーグルの無料翻訳ソフトも認識がかなり正確で指定席券を購入する時など重宝した。海外旅行の必携アイテムとなった。
ベネチアは三回目の訪問だが過去二回は何れも添乗員付きツアーだったので、鐘楼には上らずじまいだったが、今回は鐘楼に上りベネチアの眺望を楽しむことができた。
サンマルコ広場のカフェで休憩したが、丁度ピアノ・ベース・バイオリン・ソプラノサックスのカルテットがイージーリスニングJAZZを演奏中で、結構うまかったので宣伝していたCDをお土産に購入した。今回の旅行の土産はこのCDと妻が買ってくれたエプロンのみでした。

◆5日 ベネチアを満喫しようと水上バスの二日券を購入し、行きたい場所を気ままに回った。
ベネチア映画祭の舞台となるリド島やアカデミア美術館等行ったことの無い場所中心に三回目のベネチアを楽しんだ。
◆6日 午前中時間があったので初めての長男の為にゴンドラをチャーターして裏路地の水路巡りを楽しんでから、一路マルコポーロ空港へ。ドバイで乗り継ぎ7日夜遅く帰国しました。
電車の乗り継ぎ二は苦労したものの、自由旅行はスケジュール・食事が思い通りになるので非常に楽しめた。






2016年4月2日土曜日

シンポジュウム 老いることへの提案


「深く呼吸すること、食べるときにはしっかり味わうこと、それにぐっすり眠ること、笑うときには思い切り笑い、生きよう努めること、あなたはやがて死ぬのだから」
 最近義母が80歳で心臓発作で急死し葬儀・納骨等一段落して、ふと「老いることへの提案」というシンポジュウムを思いだして報告書を読み直した。
実は40代に生命保険の広報機関に三年間出向していた時期があり、広報課長として担当した仕事の一つにシンポジュウムの企画運営があった。 「老いることへの提案」はその一つだった。
永六輔さんに司会を頼み、パネリストの平均年齢が69歳という平成4年当時としてはユニークなシンポジュウムであった。
改めて参加者のその後を調べてみると、司会の永六輔以外の5人のパネリストはすでに全員物故していた。読み返してみてみなさんそれぞれに覚悟を持って生きていたことがわかるが、一番印象に残ったのが児童文学者の今江さんがサローヤンの言葉を引用した冒頭の部分だった。

2016年3月12日土曜日

第71回温泉同好会は二泊三日で男鹿温泉へ


二月初めに身内に不幸があり、ブログをしばらくお休みしました。
第71回温泉同好会はたまには遠方へということで、秋田県男鹿温泉に二泊三日の旅となった。
県から補助金が出ており飛行機往復込みで25千円と格安。
しかし雪見風呂を期待していたのは見事に裏切られ、写真のように男鹿半島はほとんど雪が見られなかったのが残念。
男鹿温泉も昔は熱海のように流行ったらしいが、閑散としており宿泊したホテルは隣接にあと二棟のホテルを所有しているが二棟とも閉鎖中だった。
しかし個人的には二日間のんびりと湯につかり葬式疲れをいやしてリフレッシュ出来たことがよかった。

2016年1月21日木曜日

2015年鑑賞の映画私的ベスト3



昨年度鑑賞した映画95本の私的ベスト3をあげます。

第一位 「イミテーションゲーム」 
第二次世界大戦の終結を二年早めたと歴史家が評価するドイツの暗号解読の実話。天才的数学者の開発した機械(コンピュータの原型)を活用して暗号解読チームが解読するまでのストーリ-
主人公が当時禁断のホモであったために、戦後しばらく功績が伏せられ、死後だいぶたってから公表されたという実話。主人公の苦悩がよく描けていた。
第二位 「黄金のアデーレ」
これも実話。ドイツに迫害され略奪されたユダヤ人家族の個人所有のクリムトの名画を、アメリカに亡命した娘がオーストリア政府を相手に取り戻すまでの話。主人公と甥っ子の弁護士のコンビが絶妙で、個人が政府に勝訴するという奇跡が生まれたことに感動した。


第三位 「先生と迷い猫」と「エール」 老いと青春のあわせ技で
前者は日本映画、老いと別れのストーリーが高齢期にある我々夫婦の心に沁みた。
後者はフランス映画で青春の旅立ち物語。フランスの田舎娘の主人公が憧れのパリの音楽学校に入学するまでのサクセスストリー。二つの映画を相前後して見たためか二作が強く印象に残った。





























2016年1月5日火曜日

年末年始に二大タワーをはしご


年末30日に孫の希望で東京スカイツリーへ行った。順番取りの受付票をもらい、タワーに上るエレベーターに乗るまで3時間待ちだったが、2時受付の人は5時間待ちだったのでまだましか。ショッピング施設等も充実しているので時間つぶしには困らなかったが、とにかく混んでいた。
正月にはこれも孫の希望で東京タワーへ、仕事始めの4日だったせいもあり、まったく並ばずにすぐ大展望台へと上がれた。 実は大学の三田キャンパスからは徒歩圏にあるのだが、高所恐怖症の気味があり上ったのは初めてとなる。 妻と孫は大展望台からさらに上の展望台に上って行ったが、私はパスしてお茶を飲んで待っていた。古希目前で高所恐怖症気味の私が、数日を置かずに二大タワーに上ったのも孫かわいさのあまりでした。