2016年8月22日月曜日

御霊入れの儀式に参列-夏祭り

夏祭りの設営に参加して6年目になるが、3年目からは前日の神輿の「御霊入れの儀式」に参列している。
神輿町内渡御の前夜に、神主に来てもらい神輿にご神体を入れてもらう儀式のこと。
明かりを消して暗い中三台の神輿毎に「おお~」というご神体を招く神主の唸り声を聞き、参加者が厳かに神棚に拝礼すると神事に参加している実感がわく。
町内渡御終了後、今度は「御霊抜きの儀式」を執り行うのが正式で、今回の神主は御霊抜きも実施する正調派。
所属の町会は二つの神社に所属しているが、来年当番の神社では「御霊入れ」はするが「御霊抜き」を省略するので、手抜きしないでほしいというのが実感。

2016年8月8日月曜日

孫と日本サッカーを応援

オリンピックサッカー日本代表第二戦、予選突破のためには勝利が条件。何度か一緒にサッカーを観戦している孫娘が、一緒に応援すると手製の日本国旗をクマの分を含めて三本作って参加。前半はかなり熱心に応援してくれたが、前半戦で飽きたらしく後半は別の遊びに熱中、今月6歳なので無理もないか。でも決勝進出のかかる11日のスエーデン戦も応援するとの事で、全く興味のない妻よりは頼もしい。

2016年7月10日日曜日

祭りの季節到来


7月に入り夏祭りの季節到来、昨日は来週の地元の氷川神社の盆踊り大会の準備に参加した。9時に神社に集合し屋台
組み立てや提灯つけ等で各町会から10名前後の氏子が集まり熱心に準備作業に取り組み約二時間で完了。今年の町会の祭りは8月20日21日で、準備作業と当日の運営はもっと大変だが、予行演習的な位置付けの作業として各町会も参加しているようだ。

2016年6月26日日曜日

第72回温泉同好会は渋温泉ー三種の源泉を堪能

第72回温泉同好会は長野の渋温泉へ。 宿はテレビで紹介され、最上階に展望風呂と露天風呂がある「炭の湯」、映っていた美人若女将を気に入って幹事が予約した宿。
朝8時に新宿出発して昼頃渋温泉に到着、まずは一軒だけある蕎麦屋に寄ってビールと日本酒でざるそばを堪能(車は宿に先に置いてきた)。
外湯が9か所あるが、宿の宿泊者のみカギを借りて入れる方式。食事後一番大きな「大湯」に入った。熱くてすぐには入れずしばらく水を入れてようやく入ったが本日の一番乗りだったようだ。
その後宿に入り、最上階の展望風呂に入浴、ここは近くのサルが入りに来ることで有名な地獄谷温泉から引き湯だがもちろん源泉かけ流し。
夕食後、宿に一番近い六番湯「目洗いの湯」に入る、濁り湯の大湯と違い目にいい成分が入っている透明の湯。残り7つの外湯があるが、アルコールが入っているので外湯は終了。
それでも宿の湯を入れると三つの異なる泉質の温泉を楽しめたことになる。リーズナブルな料金の宿も含めて再訪の価値ある温泉との印象。

2016年5月28日土曜日

手術後満一年経過


昨年五月下旬に直腸がんの腹腔鏡下手術を受けて満一年が経過、先日受けた一年後検診で経過順調と言われほっと一息。 へそを中心に4センチほど切った傷もだいぶ綺麗に回復し、大きめのへそに見えるまでになった。写真を読者は見たくないだろうから省略するが、何より海外旅行が可能なまで腹具合が回復したことがうれしい。
手術直後は軟便と頻便でとても海外旅行は無理と思い、女房を友達とのスイス旅行に送り出した。
 しかし、腸内環境整備の為に整腸剤を食事ごとにのみ、ワインを飲む際は事前に正露丸を飲むことで下痢を回避する等を習慣化したことが良かったようだ。それほどまでしてワインを飲まなくてもいいだろうと他人は思うかもしれないが、美味しい食事と酒が生き甲斐の一つなのでとにかくハッピー。
内視鏡検査の際、ネットで調べて日本一と言われる工藤医師にめぐり合い、彼が消化器センター長を務める昭和医大横浜北部病院で一番上席の石田教授のチームに手術してもらったのも幸運だったと思う。 同病院の最近の大腸がん手術の実績(腹腔鏡下手術)が全国二位にランクアップしていたのも工藤教授の手腕だろう。

2016年5月13日金曜日

イタリアン・リビエラ(海岸)の旅

2月出発日に義母の死去でキャンセルしたイタリアン・リビエラ旅行に再挑戦。
格安のエミレーツ航空を利用したが、連休となったため2月当時の倍の旅費となったが、長男が同行可能となった。
◆29日零時半出発で、ドバイーローマと乗り継いでミラノ着、ホテルは小さいがドオモウから数分
の便利な立地。早速夕暮れ時のドオモウとエマニュエル二世のガレリアを散策、6時過ぎにレストランに入り日本ではメニューから消えた「タルタルステーキ」をと地の赤ワインを堪能。





◆30日は終日フリータイムにつき朝一で空いているうちにドオウの屋上へ上って眺望をたのしんだ。その後スカラ座経由ボルディ・ペッツォーリ美術館に入りボッチィチェリ等の絵を鑑賞。中でも一番印象に残ったのは有名な「若い貴婦人の肖像」で女性の肖像画としては個人的にはフェルメールとコローについで好きな絵で、日本と違い混雑もなくゆっくりと鑑賞できたのがうれしい。
昼食後は有名観光名所に停車し一日中乗り降り自由な観光バスにのり、スフォルツア城等を回った。
ダビンチの最後の晩餐のある教会も停車したが、長蛇の列で一度見たこともあるためパスした。
夕食は昨日と同じレストランに行き、今度はTボーンステーキともちろんワインも楽しんだ。前日もタルタルステーキを目の前で調理した年配のウエイターが大きなステーキを切り分けてくれたので、チップをはずんだ。

◆1日 朝タクシーでミラノセントラル駅に行きジェノバ行きの急行列車に乗ってジェノバへ。駅が広く指定席売り場を探したり結構手間取った。駅構内の地図等事前調査不足を反省。このとき乗り継ぎの時刻表を入れたファイルを紛失したが、二泊したサンタマルガリータのホテルで事情を話しプリントしてもらい事なきを得た。
ジェノバでは、徒歩で主要な宮殿や博物館を巡ったが、疲れてきたのでミラノと同じ乗降自由な観光バスに乗り、主要な観光地はひと巡りした。

◆2日 電車にのりジェノバからサンタマルゲリータリグレ・ポルトフィーノ駅へ、午前中に宿に到着したので早速宿から近いフェリー乗り場に行き、デズニーシーのモデルと言われている高級リゾート地ポルトフィーノヘ。 日本でも人気のあるテノール歌手アンドレ・ポッチェリが港の広場で特設会場の屋外コンサートを実施したBDを持っており、一度は行ってみたいと思っていた今回の旅行の目玉となる目的地。港を見下ろすことのできるブラウン城に上り絶景を楽しんだ。

そのあとは港に戻って遅めの昼食兼早めの夕食をレストランでとった。ここでも他の客がタルタルステーキを食べているのを妻が目ざとく見つけスパゲッティやピザ(これはあまり感心しなかった)とタルタルを注文、ミラノとはまた違った味付けで同時に取った赤ワインとの相性が絶品で、タルタルはお代わりした(今回の旅行中に飲んだ赤ワインで一番美味しかったので、ラベルを写真に撮って帰国後に注文)。

◆3日 朝から世界遺産のチンクエッテレの村めぐりに出発。電車で最初の村で下車しフェリーに乗換て一番奥の村で下船した。狭い村を散策したが、ここは休日の江の島かと思うほど人の波でちょっと疲れた。
五日目の旅の疲れも重なって、五つの村のうち三つ見て早めにホテルに帰還した。町を散策したときに見つけておいた魚市場の二階にあるレストランで海鮮料理を注文し始めて白ワインを飲んだが、特別印象に残らず。



◆4日 今回の旅の最後の難関であるサンタマルガリータから三回乗り換えて(ピサ・フィレンツェ等)午後二時過ぎにサンタルチア駅に到着してホット一息ついた。駅から徒歩10分程度の場所にあるホテルに荷を預けて一番有名なサンマルコ広場まで散策。今回も海外用WiFiをレンタルしてあったので街歩きはグーグルマップを使って迷わず目的地に到達。
同じグーグルの無料翻訳ソフトも認識がかなり正確で指定席券を購入する時など重宝した。海外旅行の必携アイテムとなった。
ベネチアは三回目の訪問だが過去二回は何れも添乗員付きツアーだったので、鐘楼には上らずじまいだったが、今回は鐘楼に上りベネチアの眺望を楽しむことができた。
サンマルコ広場のカフェで休憩したが、丁度ピアノ・ベース・バイオリン・ソプラノサックスのカルテットがイージーリスニングJAZZを演奏中で、結構うまかったので宣伝していたCDをお土産に購入した。今回の旅行の土産はこのCDと妻が買ってくれたエプロンのみでした。

◆5日 ベネチアを満喫しようと水上バスの二日券を購入し、行きたい場所を気ままに回った。
ベネチア映画祭の舞台となるリド島やアカデミア美術館等行ったことの無い場所中心に三回目のベネチアを楽しんだ。
◆6日 午前中時間があったので初めての長男の為にゴンドラをチャーターして裏路地の水路巡りを楽しんでから、一路マルコポーロ空港へ。ドバイで乗り継ぎ7日夜遅く帰国しました。
電車の乗り継ぎ二は苦労したものの、自由旅行はスケジュール・食事が思い通りになるので非常に楽しめた。






2016年4月2日土曜日

シンポジュウム 老いることへの提案


「深く呼吸すること、食べるときにはしっかり味わうこと、それにぐっすり眠ること、笑うときには思い切り笑い、生きよう努めること、あなたはやがて死ぬのだから」
 最近義母が80歳で心臓発作で急死し葬儀・納骨等一段落して、ふと「老いることへの提案」というシンポジュウムを思いだして報告書を読み直した。
実は40代に生命保険の広報機関に三年間出向していた時期があり、広報課長として担当した仕事の一つにシンポジュウムの企画運営があった。 「老いることへの提案」はその一つだった。
永六輔さんに司会を頼み、パネリストの平均年齢が69歳という平成4年当時としてはユニークなシンポジュウムであった。
改めて参加者のその後を調べてみると、司会の永六輔以外の5人のパネリストはすでに全員物故していた。読み返してみてみなさんそれぞれに覚悟を持って生きていたことがわかるが、一番印象に残ったのが児童文学者の今江さんがサローヤンの言葉を引用した冒頭の部分だった。